こんにちは、しなぴーです☆
先日いただいたお便りにお返事したいと思います。
お悩み相談
「闘病患者が家族にイライラをぶつけることってよくあるのでしょうか?性格もあると思いますし、末期で感情のコントロールが難しいのかもしれません。しかし、このままでは当たられている家族が耐えられるか心配です。」
末期患者さんが家族に強く当たってしまうケース、少なくないと思います。
私も多くの末期患者さんと関わってきましたが、その中には穏やかに過ごす方、誰かれ構わず怒りをぶつけている方、悲しみに暮れている方、混乱している方、様々な患者さんがいらっしゃいました。
そんなときいつも思い出す、あるプロセスがあります。
キュブラー・ロス 死の受容段階
看護学校ではキュブラー・ロスという精神科医が提唱した《死の受容プロセス》について学びます。
キュブラー・ロスは何千件もの末期患者からインタビューを受け、以下の死を受け入れるまでのの5段階説を提示しました。
第1段階:否認
ショックを受け、死という事実を否定する段階。周囲から距離を置き孤独を感じる時期。
第2段階:怒り
神や他人に対しての怒りや妬みの感情が強く現れ、怒りを周囲に向ける段階。その矛先が家族や病院関係者に向かうこともある。
第3段階:取り引き
延命への取り引き。『~するので助けて。』『助かるためには何でもする』といった、神にすがろうとする状態。
第4段階:抑うつ
何をしても死は避けられない結果だということを自覚し、強い抑うつ感に襲われる段階。絶望。
第5段階:受容
穏やかに死を受け入れられるようになる段階。
これらは《死別を受容するプロセス》にも置き換えられます。
個人的には《死》に限らず《病》に関しても、これと同じようなプロセスを辿るのではないかと思っています。
もちろん、人それぞれ感じ方に違いがあります。
抑うつ状態の中に怒りがあったり、受容したと思っていても取り引きをしたり。
混乱から抜け出せず心を病んでしまったり、すぐにスッと受容しているように見える方さえいらっしゃいます。
実際に自分や自分の近しい人が《死》や《病》を宣告されたら、「今この段階か~」なんて冷静に考えることなんてできないと思います。
しかし、多くの患者さんがこの5段階の感情を自覚しているのも事実だと思います。
「今、きっとこの段階だからああいう反応を示しているんだ。」とプロセスを意識した上で患者さんと接すると、スムーズに対話ができることがあるからです。
とはいえ、このプロセスを理解していても毎日のように当たられるのって辛いですよね。
当たられているご家族のことを心配に思う気持ち、お察しします。
患者さん本人が辛いのはもちろんなのですが、その家族も本人と同じように苦しんだり悲しんでいるんですよね。
家族が当たられている姿、家族同士がぶつかっている姿を見るのはご相談者さん自身もお辛いですよね。
こんな時、私ならどうするだろう?
まず一番に思い浮かんだのは《距離を置く》という行動でした。
しかし、その考えは一瞬にして消えました。
なぜなら、「距離を置いている間に最期が来てしまったら、きっと離れていたことを後悔する。」と思ったからです。
ではどうするだろう。
結局、そばにいると思います。
面会に行き、病室でただ同じ時を過ごすとか、ロビーで過ごすとか。
べったり一緒にいることはなくても、一緒にいると思います。
このくらいしか思い浮かびませんでした。
「これまでみてきた患者さんのご家族たちはどうしていただろう?」
と思い返してみました。

あの患者さんはナースコールが多かった。 ナースコールの度に看護師に怒りをぶつけていた。 ご家族の面会は少なかったかもなぁ。
あの患者さんは一人静かに病室で過ごされていた。 ご家族の面会は頻繁だったけど、ご夫婦ともに笑顔が多かったなぁ。
あの患者さんは毎日泣いていた。 『どうして私だけこんな目に合うの』と嘆いていた。 でも、訪室すると涙だけでなく笑顔も見せてくれた。 話したいことが沢山あるようで、お話が止まらなかった。 1人だと寂しいみたいだったなぁ。
それぞれの段階がどのくらい続くのか?
それは本当に人それぞれとしか言いようがありません。
全てが形通りや順番通りにいかない。
でも、独りぼっちはやっぱり寂しい。
それが死に向かう人の心なんじゃないかなって私は思います。
本日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。